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伝統菓子・地方菓子- Traditional confectionery -

シェフの思い出の菓子

堀江 新(ラ・ヴィ・ドゥース)2015年07月30日

ミゼラブルMiserable

ミゼラブル(「悲惨な」「哀れな」などの意)なんていう名前がついていますが、ベルギーでは古くから親しまれているお菓子です。私のいた90年代前半のベルギーでは、この「ミゼラブル」とコーヒー風味の「ジャヴァネ」、それからチェリーなしモノトーンの「フォレ・ノワール」の3品は、どこのお菓子屋さんにも置いてありました。

私がこのお菓子に出会ったのは、ブリュッセルの北西、運河の町として有名なブルージュへの途中にあるゲントという町で修行をしていたときです。私はたまたま紹介でベルギーと縁を持つことになったのですが、動き続ける流行と、世界中から集まる人たちの雑多な価値観の中で苦労しているパリのお店よりは、よほど落ち着いていいお菓子を作っているな、と思えるようなお店が当時のベルギーにはありました。
ゲントの修行先「ダム」というお店もそのひとつ。ベルギーといえばヴィタメールという名店がありますが、オーナーシェフのピットさんもここの出身でした。彼は真摯な職人でしたが、情熱だけで当たっていくのではなく、いかに効率よく菓子作りを進めるかという視点を常に持っていた人です。そのために独自に道具を工夫したり、生産システムを考えたり。彼からはお菓子作りだけでなく、お店の運営のしかたとい
うようなことを自然と勉強させてもらった
ように思います。

もちろん経営の要となるのは、その店なりのお菓子の味わいですが、ピットさんのミゼラブルのクリームにはそれが表れていたと思うんです。彼の作り方はアングレーズ・ソースを牛乳でなく水で炊き、それからバターと合わせるもの。コクがあるのにさらりとした独特の口どけです。
また、これは別の師匠なんですが、私がコンクールに挑戦しようとしていたときに「そのお菓子の印象が強く残るように作りなさい」とアドバイスされたことがありました。決して複雑にしなくていいんだと。コンクールって審査する方も大変な労働です。だから一口食べたときに、そのお菓子で一番表現したいものがパッと明確に伝わるように作るべきだと言ってくれたんですね。これは今でも、自分の店でお菓子のラインナップを考えるときに、ふと思い出す言葉です。修行で得たものはたくさんありますが、仕事を通して表れていたその人それぞれのセオリーは、今の私のお菓子作りを支えてくれているような気がします。