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伝統菓子・地方菓子- Traditional confectionery -

シェフの思い出の菓子

河田 勝彦(オーボンヴュータン)2015年07月30日

ビスキュイ・ド・サヴォワ Biscuit de Savoie

フランスに渡ったのは1966年。パリ9区の菓子店でようやく働き始めましたが、17ヶ月が過ぎた頃に5月革命が勃発。そうでなくとも言葉や文化の問題でフランス人社会に壁を感じていた私は目的を見失い、なけなしのお金で買った自転車で、あてのない旅に出ました。野宿をし、修道院に助けられたりしながら行き着いた先は、ボルドー地方のブドウ農家。ブドウの収穫は過酷を極める肉体労働でしたが、これが働くことを考え直すきっかけにもなりました。そしてパリに戻る途中に立ち寄ったリブーンという町の菓子店で初めてカヌレに遭遇。形、焼き色、味わい….地味なのに圧倒的なその存在感に、頭の中で何かが弾けたのです。「求めていたのはこれだ!」。
 それからは一気呵成です。パティスリーにとどまらずコンフィズリー、ショコラトリー、パン屋まで職場を移しながら、猛然とすべてを吸収していきました。睡眠は1時間なんてこともザラ。ちょうどフランスも古色蒼然としたお菓子から、軽くフレッシュなクリームを使うなど新しいものへと変わっていっためざましい時期でした。
 こうして「自分の菓子」観を築いていく中で、避けて通れなかったのが歴史です。お菓子の背景に必ず見えてくる時代の事情や文化。暇さえあれば古本屋に通いました。でもいい本は高くてね。100フランずつのローンで手に入れたりもしましたよ。文献の中に出てくる伝統的なお菓子に惹かれ、それが地方に残るらしいことを知ると、各地へも出かけるようになりました。でも90%はハズレ(笑)。もうその町の人さえ知らなかったり、ようよう訪ねても、がっかりの味だったり。
 ところがビスキュイ・ド・サヴォワは例外。発祥は14世紀イエンヌ説と15世紀シャンベリー説があるのですが、私が訪れたのはサヴォワ地方の西の入り口、イエンヌです。村のパティスリーのウィンドーにそびえていたのは、直径も高さも1メートルはあろうかというビスキュイ・ド・サヴォワ。大きさもさることながら、何百年と続く伝統が威風をただよわせ、私はしばらく立ち尽くしていました。
 ビスキュイ・ド・サヴォワのレシピは、ほとんど当時のまま。古典・伝統菓子の場合、まずレシピに忠実であること。それが精神を伝えるからです。後でもちろん自分なりに改良することもありますが、淘汰されていく中で尚、残るものが伝統であり、文化なのだと思います。